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畜群総排除委員会

わちきはわちきに危害を加えてくる畜群を排除したいだけ。

毒親を消したい!

毒親との戦いなう。

 

わちきは現在、父、母と3人で暮らしています。同居していた祖父母はすでに他界、妹様、愚弟はそれぞれ一人暮らししています。

田舎の家なものなので、長男にあたるわちきには、家を継ぐという権利もあります。ですが、わちきからすればこれはハタ迷惑極まりないので、2016年1月現在、もう家を出て行くことは決めています。

 

わちきは大学院修了後、進学もできず、就職活動もしていなかったので、京都から強制送還されてしまいました。それが2011年2月のことでした。そして、運転免許もないまま、地元の企業の面接を何社か受けましたが、いずれも落ちました。「運転免許ないと彼女もできんぞー」とある会社の人事課の人間に言われた時には、まさにそうだなあと思いました。

 

で、今勤めている会社に、両親の紹介で半ば強制的に働くことになりました。10月には奨学金の返済も始まる。とにかくお金が必要でした。まあ、アルバイトですが。接客のアルバイトなんて初めてで(以前は図書館や博物館の資料整理のバイトをしていたことがあった)、わちきに務まるだろうかと当初はヒヤヒヤものでしたが、案の定、入社したての頃は先輩や店長に怒られてばかりで、無愛想で無能なバイトでした。

 

そんなわちきは統合失調症という病気を患っていたので、精神科への通院も希望していました。しかし車がない。病院も近くにはない。絶望的でした。お金を貯めて、京都にいた頃のメンクリにわざわざ出ることもしました。しかし根本的な解決にはならなかったです。

 

2011年11月、何とか運転免許を取得し、翌年6月には叔母から車を30万で譲ってもらい、こうしてバイト先にも、あるいは地元の各地を車で行くことができました。それが良かったのか、悪かったのか。

 

2012年9月、初心者マークを付けて、高校時代に通った精神科病院へ赴きました。そこにはもう当時の主治医はいなく、代わりに女医がわちきの主治医になりました。そこでは、眠れない、幻聴・幻覚がひどい、やる気がない、など話しました。それで、マイスリーワイパックスレンドルミンエビリファイリスパダールを処方されました。

 

それがいけなかった。2012年、ある大学院の特別研究生になり、学問をすることを再開しました。その際に、銀行からお金を借りました。今思えば、わちきは月収20万ほどもらっていたので、貯金さえしっかりしていれば、希望する大学院の博士課程でまた学問をすることもできたであろうと思います。どういうわけか、わちきはとにかく浪費グセがひどかった。当時ハマっていたボカロのアルバムを買いまくっていました。浪費グセは今なお治りません。

 

当然、自分の口座を持ち、給料も自分で管理していたのですが、銀行から借金していることが両親にバレ、キャッシュカードと通帳を全て取り上げられてしまいました。それでも、精神科に通院しているということと、最低限の小遣いは欲しいと主張したので、週2,000円ほどもらい、後は全て両親が管理するということになりました。

 

昔から2chメンヘル板の住人だったので、ブロンやマイスリーでODしてラリるということを覚えました。最初は貯め込んだマイスリー20錠でODしました。同時に、リスカ、アムカもしました。当然死にはしません。気づいたら地元の総合病院のベッドにいました。このことには両親もさすがに腹を立ててわちきを責め立てたのですが、精神科の主治医との話し合いにより、処方された薬は母が管理するということになったのです。当時のわちきも、「そうなっても仕方ないか」と思うだけでした。

 

ですがOD癖は治りませんでした。お金を貯めてはブロンを買い、アルコール+リスカしながらラリっていました。これは2015年まで続きました。地元の病院にも数回入院しました。医院長からは「今度ODしたら精神科病院の閉鎖病棟に送るから覚悟しておけ!」と怒られました。

 

2013年8月、主治医が転勤ということになり、紹介状を書いてもらい、「あとは自分で病院を探してね」とだけ言われて別れました。もう近所(といっても家から車で30分)には精神科の病院なんてないし、どうしようかと途方に暮れていた時に、親しいフォロワーさんからの紹介で、今の病院に通院することになりました。

 

いつものように問診票に「はい」などを書き、家族構成やこれまでの通院歴や処方された薬などの話をして、同じようにマイスリーワイパックスエビリファイリスパダールを処方されました。

 

2015年3月、わちきは他店へのヘルプでのストレスにより症状が悪化し、またしてもブロンでODしました。その時は、2chガイドラインにあったように、糖衣を水で流して200錠ほど飲みました。翌朝、意識はあったのですが、母に、「ブロンでODした」と言うと、すぐに地元の病院に連れて行かれ入院したのです。そして退院したその週の通院日に、主治医やカウンセラーと相談して、1ヶ月休職することを決めました。

 

それを店長やオーナーにも伝えなければならないので、とりあえず診断書を書いてもらいました。で、オーナーや店長(といっても普段から職場にはあまり顔を出さない)に書き置きをして、4月から5月のゴールデンウィークまで休職しました。

この時点で初めて職場の人間に「わちきはメンヘラです」とカミングアウトしたわけですが、これが後々のわちきの行動にも悪影響を及ぼすことになりました。

 

休職期間中は、とりあえず精神科への通院だけがわちきに許された「外出」でした。それ以外は、母が何かと干渉してきて何もできませんでした。

わちきがPCゲー(東方、PSO2)をしていることは以前の記事にも書きましたが、その時の退屈しのぎに始めたのがMaster of Epic(MoE)でした。付き合いの長いフォロワーさんとスカイプしながら一緒にプレイしました。その時だけ楽しかったです。それ以外は何も楽しいことなんてありませんでした。

 

復職してから同年11月までは1日5時間、週3日程度の労働でした。当然、給料は安い。いろんな支払いもある。そのことで両親からまたも責め立てられ、「いろんなところで働け!」と罵倒されました。しょうがない気持ちで他社のバイトの求人に応募しましたが、それがいけなかった。オーナーからは「きあくんがそういう(統合失調症)病気だからこっちは気を遣ってシフトを減らしてるんだ!」と怒られました。オーナーの言うとおり、職場の人間に一切相談なくバイトの掛け持ちを始めようとしたことは愚かなことでした(常識がない)。

 

それで、わちきは再び週5日のフルタイムシフトを希望する旨をオーナーやチーフに伝えました。わちきのいないところで職場ではいろんな問題があったようですが、とりあえず、希望通りのシフトに組んでもらえるようになりました。

いつの日だったかはよく覚えていませんが、エビリファイを飲むのをやめました。それに伴う離脱症状もいくつかありましたが、日に日に意欲が湧き、どんだけ働いても身体がちっとも疲れない状態になりました。不思議な感覚でした。統合失調症への処方薬としてエビリファイは有名ですが、これがわちきとは相性が悪かったんだと気付き、主治医に処方をやめてもらうようお願いしました。

 

それから現在まで、躁鬱状態でいうところの「躁」状態が続いています。毎日が意欲に溢れて、とにかく働きたい、勉強したい、という気持ちでいっぱいでした。

 

12月、29歳の誕生日を迎えた日に、母から「キャッシュカードと通帳は返すから後は自分で何とかしてみろ」と言われました。ようやく自分の給料が自分の手で管理できるようになりました。まあ、これが吉と出たのか凶と出たのか。相変わらず浪費グセが治りません。

 

で、今日、母から「通帳とキャッシュカードを渡せ」と言われました。言われるがままに応じたわちきもですが、相変わらず母は毒親です。ついこないだも、朝食後の薬を出すのを忘れていたようで(薬はしっかり隠されている)、わちきは終日イライラ状態でした。コンスタン、バレリンを1回飲まなかっただけでもそうなるというのが精神薬の恐ろしさでもあるのかもしれません。仕事を終えて帰宅したわちきもさすがにブチ切れ、「今度出さなかったから全部わちきが管理する!」と言ってやりました。それでも母は相変わらずわちきから全てを奪っていこうとしています。もうすぐ30歳にもなる子どもに、どうしてこんなに過干渉的なんだろうと思います(まあ過去の自分の行いのこともあるので全てが母の所為というわけではありませんが)。

 

とにかく、もうこんな親の元で暮らしているのは嫌だ、という気持ちでいっぱいなのが現状です。2016年は一人暮らしするための資金集めに徹して、早ければ2017年にも実家を出ようと考えています。今の職場にはそういう旨もいずれ話さなければならないのですが、カウンセラーと相談しながら、とにかく慎重に順番に事を進めていこうということになりました。

 

ああ、こんな毒親を消してやりたい。そういう気持ちで長々と書き殴ってしまいました。すみません。

 

今日の自分語りは以上です。ありがとうございました。

大学院時代の葛藤と対人依存症

こんばんは。今宵もわちきの昔話にお付き合いください。

 

わちきは1998〜2012年12月まで毎日日記をつけるという習慣を持っていました。

日記をつけるというのは、2003年に76歳で亡くなった祖父譲りなところもあるのかもしれません(祖父は病気になるまでずっと日記を書いていました)。

日記のモットーは「その日のうちに必ずつけるのが日記」(これは『インフィニティ・ゼロ』というライトノベルに登場した女の子のセリフだったような)というものでした。

 

さて、今日の仕事帰り、ビールを片手にわちきが書いた日記の一部を読み返すことにしました。本当は、当時の自己陶酔が怖くて読み返すことができなかったのですが、思い切って読み直してみました。

 

過去の自分を知るということでなかなか面白かったのです。

 

日記は大学ノート40冊分と、プリントアウトしたものをファイリングしたものが2冊あります。

今回は、その一部(主に大学院1年生時代)を紹介しながら、当時のわちきの葛藤と対人依存症についてお話したいと思います。

 

わちきは2009〜2011年の2年間、大学院修士課程に在籍していました。専攻は文化地理学でしたが、学部時代に人文地理学をしっかり学んでいなかったので、院生時代になってから初めて人文地理学の理論や学説史などを学んでいきました。それがやがて修論の礎になるのは2年の夏の頃だったと思います。

 

卒論は学内では好評でしたが、指導教官が言うには「哲学と創造性がない」とのことでした。これは、上に書いた通り、何かの学問の理論に基づいた卒論ではなかったことからしたコメントだったと思います。確かにそうだったと思います。ある事象についてただ詳しくなっただけの卒論でした。そこには哲学も理論もなかったと思います。当時のわちきにとっての哲学は、単なる一般教養でしかなく、むしろ哲学なんて胡散臭い学問だ、という印象を持っていました。のちにニーチェやカント、フーコースピノザデカルトヘーゲルなどといった哲学者との出会いがありました。

 

さて、日記に書いてあったことを振り返ると、わちきは当時も相変わらずメンヘラで、アルコール+リストカット(とにかく血を流しまくりたかったので酒を飲んで酔ってからカッターで切っていました)という日々を過ごしていました。自分のメンタルが不安になるたびにそうしていました。処方されていたリスパダールデパスウインタミンは、ただ単に眠くなるだけで、メンタルの安定には全く効いていませんでした。

 

大学院修士課程1年時、わちきには好意を寄せていた女の子(同じゼミの後輩)がいました。最終的には彼女とは恋仲になりましたが、わちきの対人依存症により彼女との共依存に陥り、お付き合いしてから3ヶ月後に彼女から別れを告げられました。

 

その後輩の第一印象は、「変な奴がやってきた」という感じでした。

彼女は妖怪が大好きで、故・水木しげるの大ファンでもありました。そして絵を描くことが好きだという、かなり芸術家風な女子学生でした。最初は、先輩であるわちきに対してタメ語で話してきたり生意気な口を聞いてきたりと、とにかく嫌いで仕方なかったのですが、いつの頃か、だんだん彼女に好意を寄せていくようになりました。日記にはその好意についても山のように書かれていました。彼女から発せられた数々の言葉を、日記に(時には都合のいい言葉で)記録していました。

 

わちきが一方的に好意を寄せていただけではありませんでした。彼女も、わちきのことを意識していた部分があったのです。

2009年の夏休みに、わちきが修論で悩んでいるところに、彼女が「気分転換に映画を見ましょうよ!」と誘ってくれて、2人でレンタルビデオ屋へ行き、『ルパン三世 風魔一族の野望』『パプリカ』『ねこぢる草』を、わちきの部屋で見ました。2人であーでもないこーでもないという感想をだらだら話しているうちに、彼女は終バスを逃しました。「泊ってもいいですか?」と言われた時には、もう本当に、ドキドキものでした。好きな女の子が自分の部屋に泊まっていってくれる、なんて夢のまた夢みたいな話でした。で、本当に彼女は泊まっていきました。深夜2時くらいに寝て、朝、起きたら隣で彼女がわちきの手を握って寝ている状態でした。わちきも男ですから、多分襲おうという気はゼロではなかったのですが、当時は恋人ではなく、仲のいい先輩後輩だったので、そこを壊したくなかったので、手は出しませんでした。

 

今だから書けます。彼女は本当にいい子でした。わちきと本質がよく似ており、彼女がわちきに自己投影している部分もあったのです。「嫌も嫌も好きのうち」とはこのことを言うのでしょうね。

 

研究活動が軌道に乗らないまま、わちきはあるNPO法人や大学の先生から(無償の)仕事をいくつか請け負うことになりました。その話し合いの場に彼女も同席しており、その話し合いの後に彼女がものすごい勢いでわちきに怒ってきたことがあります。以下はその時に言われた言葉です。

 

 「あと5分くらいでキレますよ」

「私もあなたもいつまでも元気じゃないんですよ!」

「(仕事)断れ!あんた修論書かなきゃいけないでしょ!」

「あなたが元気じゃないと私も元気がなくなるんです!」

 

最終的には泣き出した始末でした。年下の後輩にこれだけのことを言われて、わちきはただ彼女を慰めるくらいしかできませんでした。しかしこの頃から、彼女はわちきに好意を寄せているんだろうなあとも自覚していました。

 

当時からわちきは付き合いのあったあのNPO法人への不満や不信感を募らせていました。役員の一人(別の大学教員)が、わちきがNPO法人で地道に築いてきた研究成果を全て自分の実績として奪っていったのです。それがわちきの「無償」とか「ボランティア」に対する欺瞞さや嫌悪感へと変わっていったのです。

わちきの研究成果を奪っていってなおわちきから搾取しようとする例のNPO法人の役員には今も呆れ果てています(なんと現在は代表理事になっているらしい!)。

 

NPO法人や大学の先生たちから押し付けられた仕事は、最終的には全部こなしましたが、それを機に、わちきは自分を壊すことをエスカレートさせていきました。それが冒頭でも述べたように、自傷行為だったのです。とにかく被害妄想がひどかった。

 

2010年春、つまり大学院2年になったばかりの時、指導教官と例の後輩と3人で飲みに行く機会があり、最初は学問的な話で盛り上がっていましたが、だんだん恋愛話になっていき、「お前ら、(お互いに)どう思っているんや?」と指導教官は言いました。わちきよりも先に後輩が「きあさんのこと、好きです」と言いました。わちきも遅れて「(彼女が)好きです」と言いました。こうして指導教官のおかげで恋仲になることができたのです。

ですが、その恋も長くは続きませんでした。わちきのひどい対人依存症で共依存に陥りました。別れてから彼女はわちきと会うことを極端に避け、大学に姿を現わすこともありませんでした。一時は休学していたそうですが、最終的には退学したそうです。

 

彼女は、わちきのことを好きでいましたが、同時に蘭人ちゃんのことも慕っていたのです。仮に彼女と連絡が取れたとしても、蘭人ちゃんが死んだということだけは言えないです。後追い自殺しかねないですので。

 

今、多分、実家で引きこもっているんだろうと思いますが、もし再会できる機会があるならば、彼女の人生を壊してしまった当時のわちきの行いを、誠意を持って謝りたいと思います。できるなら、また仲のいい先輩後輩としてお付き合いできたらと思います。それが叶うのが何年後になるかは分かりません。ですが、生きている限り、いつかはまた出会えると思います。

 

今日の自分語りは以上です。ありがとうございました。

「絶対的価値観」との戦い(2)

ここでまたわちきの昔話にお付き合いください。皆さんにとって「勉強する」って何でしょうか?
わちきにとって「勉強する」ことは生きることでありました。それが「絶対的価値観」として毒親に植え付けられてきたこともあります。わちきが小学〜高校まで、「勉強し良い成績をあげること」で両親からお小遣いをもらうという感じの家庭教育でした。

現代の学校教育が、わちきが体験した「絶対的価値観」に捉われているかどうかはよくわかりません。ただ言えることは、そうした「絶対的価値観」に屈した時の惨めさを、わちきは今でも忘れていません。それが受験であり、勉強することなのでしたから。

だから、わちきは常に周囲と競争関係でいました。学校であり、育った村であり、家であり。ゆえに、小学〜高校2年までは、学業では好成績を維持していました。しかしその周囲との競争関係の歪みが生じて、わちきはだんだん周囲から孤立していきました。

 

それがいわゆる「イジメ」だったのです。最初は悪口や陰口程度でしたが、エスカレートしてくると暴力が入ってきました。クラスメイトと殴り合った際わちきは大量の血を出す怪我をしました。それでも当時の担任の対応は喧嘩両成敗という価値観の元でわちきと奴の両方を殴りました。

現代ではきっと学校やいじめてきた連中を相手取って裁判を起こすことも容易いのかもしれません。わちきがそうした行動に出られなかったのは、常に自分に負 い目があるという「絶対的価値観」に支配されていたことと、古臭い日本の村落社会での「良き」人間関係の構築にありました。

つまり「皆と仲良くしなさい。仲良くできないのはお前が悪いのだ」という風潮があったのです。そうした価値観の元でわちきの青春は過ぎていきました。「絶対的価値観」に屈し、自分を壊すという行為に心情がエスカレートして行ったのが、高校3年生(2004年)の時にしたODでした。

あの時はリスカもアムカもメンヘラという言葉すら分からないまま、「死んでしまえばいい」と、当時流行っていたドラマ(確か、『ヤンキー、母校に帰る』だったはず)のシーンであった服薬自殺を真似てODをしたのです。ODした翌朝、わちきの意識はほとんどなく、気付いたら病院のベッドにいました。

 

「精神科」という場所に対する偏見があったあの頃、こうしたわちきの行動に対して当時の担任が紹介してくれなければ、わちきはまたあの狭い価値観の中で生き地獄を味わうところでした。そうして精神科の門を叩いたのです。

そこで「南条あや」を知り、自分がメンヘラというクラスタにいるということを知りました。また、当時放送されていたドラマ『夜回り先生』の影響も受け、悪 いように感化されて鬱が悪化し、学校へ行くことをやめ、ある日に『完全自殺マニュアル』に沿って計画した自殺を図りました。

こうして生きているのですから未遂に終わったのは申し上げるまでもないのですが、「あの時に死んでいれば嫌なことから全て解放される」という価値観に支配されていました。でも生きてしまった。生き地獄は大学2年まで続いたのです。

 

でもわちきはあの大学(院)で勉強したことこそが、本当の「勉強する」なんだなあと今は振り返れます。蘭人ちゃんや指導教官との出会いの中で、「学問する」ことの楽しさを知り、今までわちきが持っていた「絶対的価値観」を少しずつですが、捨てていくようになりました。

そしてニーチェや中島義道先生の本との出会いもあり、ようやく自我というものを見つけたのが大学院2年の時でした。そこで哲学の醍醐味を知っていったのです。

しかし他大学大学院博士課程の受験の失敗や今の会社に入ってからしばらくはその「哲学」を実践できていませんでした。今はニーチェや中島先生の言うところの哲学の全てを実践できているかと聞かれても、多分、彼らの足元にも及ばないと思います。しかしこうやって約30年の人生を振り返ってみることで、改めて見えてくるものもあったのです。

 

今、心の闇を抱えている人やメンヘラクラスタにわちきから伝えたいのは、本当の自分を見つけて、それを見失わないで生きていて欲しいということです。 SNSが発展した現代では、わちきの青春時代のそれよりも、いろんなことができると思います。どうかそれを忘れないでください。

 

わちきの生き方が正しいかどうかはわちきにもわかりません。しかし正解がないからこそ「人生」だと思います。息苦しくなったら、わちきに相談してください。可能な限り、力になりたいです。わちきもメンヘラですが、自分へのゆとりを持つことができました。

 

今日の自分語りは以上です。ありがとうございました。

 

※本記事は2016年1月14日のツイートに加筆修正したものです。

「絶対的価値観」との戦い(1)

メンヘラクラスタの皆さん、南条あやさん、ご存知ですか?

 

わちきが高校3年(2004年)のときに月々の僅かな小遣いで彼女の本を買いました。読んだら感化されて鬱になりました。自分がこれまで自傷行為をしてきたことが、所謂リスカというものだということを初めて知りました。ついでに香山リカも知りました。新潮文庫版ですが今でも所蔵してます。

 

高校3年の夏休み前、所謂ODをして(処方されていた喘息の治療薬50錠ほど)地元の病院に入院し、当時の担任の先生からの紹介で精神科に通うようになりました。

わちきが自傷行為を始めたのは中学2年だったかと思います。至った経緯は、クラスや住んでいた村からのイジメで自暴自棄になり、カッターで左手首や腕、首、額を切るようになりました。わちきはカミソリは一切使いませんでした。

 

さて高校3年の夏休み、閉鎖病棟への入院が決まり、都市部の大規模な精神科病院に移りました。イジメや部活や受験、毒親など様々な要因があって、ノイローゼになりました。入院生活は長くはなかったのですが、若い看護師さんに英語を教えてもらいました。

退院後も精神が安定せず、秋から不登校になり、家に引きこもるようになりました。そして7つの大学とセンター試験を受けましたが全て不合格。高校も留年ギリギリで、別室登校の形で補充授業を受け何とか卒業し、8つ目に受けた大学への入学が決まりました。

高校の卒業式は欠席、担任が持ってきてくれた卒アルは、わちきをイジメてきた連中の顔写真にカッターを突き立て、恨みつらみを呪詛のように呟きながら切り刻み、燃やして捨てました。

 

大学に入学してからも学生相談室でしばらく世話になりました。1年の時はほとんど単位を取らず、部屋に引きこもっていました。2年の春、蘭人ちゃんと知り合い、以降、友人として共に大学時代を過ごしました。

蘭人ちゃん曰く「お前今にも死にそうな面しとる」とのことで、蘭人ちゃんにはかなり救われました。その蘭人ちゃんは、わちきよりも先に逝きましたが、彼の大学生活はとても充実していたように見えました。

 

来年2017年は、蘭人ちゃんが亡くなって5年が経ちます。これを機にというのもあれですが、彼と共に過ごした大学の先輩後輩を呼んで、偲ぶ会みたいなものを催す予定です。蘭人ちゃん、また台風呼ばんといてな。2012年9月末に行った偲ぶ会では京都が台風のコースに入り、皆々が蘭人ちゃんを「死んでも嵐を呼ぶ男や」と言っていたのは今でも覚えています。

 

それと、わちきの高校時代の補足として書いておきたいのが、橋本紡との出会いでした。『バトルシップガール』、『リバーズ・エンド』は全巻買い、読みました。特に後者の作品に出てくるメンヘラの女の子のリスカのシーンは今でもよく覚えてます。

主人公ヒロキも、ヒロインのユイも、わちき的には最後まで救われなかった物語の人物として、あるいは同世代的な視点の中で、わちきを鬱にしてくれました。

アフターデイズではだいぶ救われたんですけどね。

 

あやふやなのよ。
なにもかも。
自分も。
だからーー。
その時だけは、自分が生きてるって、わかるの。

橋本紡リバーズ・エンド 2』2002年より)

 

2016年現在、Amazonでは中古でしか入手できませんが、わちきは当時の読者として、ファンとして、一生の宝物にしようと思います。ちなみに絵師の高野音彦さんの画集も持っています。

 

今、橋本紡は一般文芸作家になりましたが、リバーズ・エンドに限って言うならば、あれはライトノベルではなかっただろうなあと思います。セカイ系の物語なんですけどね。

 

 『リバーズ・エンド』のわちきが気づいたトリビア。主要登場人物の名字か名前に数字が必ず入っている。ヒロキは、瀬川の川から3、ユイは唯一の1から。

 

そういえば、ネットの有志による『リバーズ・エンド』のファンサイトや、朗読企画なんてのもありましたよね。わちきもユイのイラストを投下した記憶があります(確か2004年)。

 

 

あの頃のラノベはほんとに面白かったんだよ!『キーリ』『月と貴女に花束を』『イリヤの空、UFOの夏』『キノの旅』『しにがみのバラッド』『時空のクロスロード』『灼眼のシャナ』『撲殺天使ドクロちゃん』『涼宮ハルヒの憂鬱』『魔法戦士リウイ』『フルメタル・パニック』など。知って る作品ありますか?

当時のラノベといえば、電撃、角川スニーカー、富士見ファンタジアというレーベルの世代でしたから。

 

わちき、壁井ユカコと橋本紡にファンレター送ったことあります。

 

ここで一つ。きあによるきあのためのラノベ購入判断基準。パケ買いNG。作者のあとがきを読んで面白ければ購入。最近買ったラノベは『ソードアート・オンライン』ですね。

 

わちき、これでも作家志望やったんやで!

それが今はフリーターだよ。あ、似たようなんか!

 

※本記事は2016年1月10日のツイートに加筆修正したものです。

初めまして!

「静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。だが、それこそ、考えるということではないか!」
(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ『この人を見よ』1908年より)


ドーモ、ドクシャ=サン、きあデス。

今回はこのきあがどのような生態かをダラダラと書き連ねてみようと思います。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。

冒頭ではドイツの哲学者ニーチェの著作から、わちきが好きな箇所を引用させていただきました。

わちきはニーチェが好きです。

一時期、日本ではニーチェブームが訪れました(今も続いているのか?)。
わちきはそんなミーハーな連中とは違って学生時代からニーチェの著作(英訳版)と、今日のニーチェ哲学の代弁者でもある(?)中島義道先生の著作を読んでいました。
彼らから人生哲学を学び、今に至ります。

わちきの趣味を羅列的に述べると、読書(ラノベ・マンガ含む)・ネトサー(主にニコニコ動画)・ゲーム(東方Projectスパロボテイルズ)・ネトゲ艦これファンタシースターオンライン2;PSO2)・動画制作・アニメ鑑賞です。

いわゆるオタクというヤツです。

特にネトサーと動画制作は楽しくやっています。

将来の夢は、ニーチェの言うところの「超人」になることです。
これは真面目な話なんです。

わちきの思うニーチェについては、書評あるいは読書紹介の形で、別の機会に投稿させていただきたいと思います。
さてニーチェについてはこれぐらいにしておいて、わちきが投稿しようと思っている記事は至ってシンプルで、以下の4点です。

・人生観(ただの独り言)
・文化批評(の真似事)
・書評(の真似事)
・動画の紹介

こいしちゃんと小傘ちゃんはわちきの嫁。

とはいえ、住んでいる場所のこともあり、コミケには一度も行ったことのないヤツです。
年に1・2回、大阪に出かけることがあります。目的地は難波・日本橋です。
とらのあなメロンブックスアニメイトドスパラに出没しております。

機会と金があれば東京にも行こうかなと考えております。

しかしわちきには自由な時間も金もない、貧乏人です。果たしていつ実現するのやら。

趣味の1つ、動画制作ですが、ニコニコ動画Youtubeに「ゆっくり怪談」を投稿しています。
「ゆっくり怪談」とは、その名の通り、「ゆっくり」(合成音声ソフト「Softalk」や「棒読みちゃん」など)を用いて、怖い話を朗読してもらうという怪談のジャンルです。

わちき自身、ゆっくり怪談が好きです。毎日、睡眠用に聴かせてもらっています。

2014年よりニコニコ動画で「ゆっくり小傘が怖い話を朗読するだけの動画」と題して、ゆっくり怪談を制作、投稿しています。

小傘ちゃんマジわちき。

ニコニコのマイリストはこちらです。よろしければご視聴いただけたらと思います。ブログにもリンクを貼っておきます。
Youtubeの方はエンコードが面倒くさい時間がないので連載が遅れています。ですので、ニコニコのアカウントをお持ちの読者様はニコニコでのご視聴を推奨します。

わちきへの個人的なご質問・ご意見についてはコメントか、Twitter@atooi232)まで、お願いします。可能な限りお答えします。

では、今回はこの辺で。