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畜群総排除委員会

わちきはわちきに危害を加えてくる畜群を排除したいだけ。

大学院時代の葛藤と対人依存症

こんばんは。今宵もわちきの昔話にお付き合いください。

 

わちきは1998〜2012年12月まで毎日日記をつけるという習慣を持っていました。

日記をつけるというのは、2003年に76歳で亡くなった祖父譲りなところもあるのかもしれません(祖父は病気になるまでずっと日記を書いていました)。

日記のモットーは「その日のうちに必ずつけるのが日記」(これは『インフィニティ・ゼロ』というライトノベルに登場した女の子のセリフだったような)というものでした。

 

さて、今日の仕事帰り、ビールを片手にわちきが書いた日記の一部を読み返すことにしました。本当は、当時の自己陶酔が怖くて読み返すことができなかったのですが、思い切って読み直してみました。

 

過去の自分を知るということでなかなか面白かったのです。

 

日記は大学ノート40冊分と、プリントアウトしたものをファイリングしたものが2冊あります。

今回は、その一部(主に大学院1年生時代)を紹介しながら、当時のわちきの葛藤と対人依存症についてお話したいと思います。

 

わちきは2009〜2011年の2年間、大学院修士課程に在籍していました。専攻は文化地理学でしたが、学部時代に人文地理学をしっかり学んでいなかったので、院生時代になってから初めて人文地理学の理論や学説史などを学んでいきました。それがやがて修論の礎になるのは2年の夏の頃だったと思います。

 

卒論は学内では好評でしたが、指導教官が言うには「哲学と創造性がない」とのことでした。これは、上に書いた通り、何かの学問の理論に基づいた卒論ではなかったことからしたコメントだったと思います。確かにそうだったと思います。ある事象についてただ詳しくなっただけの卒論でした。そこには哲学も理論もなかったと思います。当時のわちきにとっての哲学は、単なる一般教養でしかなく、むしろ哲学なんて胡散臭い学問だ、という印象を持っていました。のちにニーチェやカント、フーコースピノザデカルトヘーゲルなどといった哲学者との出会いがありました。

 

さて、日記に書いてあったことを振り返ると、わちきは当時も相変わらずメンヘラで、アルコール+リストカット(とにかく血を流しまくりたかったので酒を飲んで酔ってからカッターで切っていました)という日々を過ごしていました。自分のメンタルが不安になるたびにそうしていました。処方されていたリスパダールデパスウインタミンは、ただ単に眠くなるだけで、メンタルの安定には全く効いていませんでした。

 

大学院修士課程1年時、わちきには好意を寄せていた女の子(同じゼミの後輩)がいました。最終的には彼女とは恋仲になりましたが、わちきの対人依存症により彼女との共依存に陥り、お付き合いしてから3ヶ月後に彼女から別れを告げられました。

 

その後輩の第一印象は、「変な奴がやってきた」という感じでした。

彼女は妖怪が大好きで、故・水木しげるの大ファンでもありました。そして絵を描くことが好きだという、かなり芸術家風な女子学生でした。最初は、先輩であるわちきに対してタメ語で話してきたり生意気な口を聞いてきたりと、とにかく嫌いで仕方なかったのですが、いつの頃か、だんだん彼女に好意を寄せていくようになりました。日記にはその好意についても山のように書かれていました。彼女から発せられた数々の言葉を、日記に(時には都合のいい言葉で)記録していました。

 

わちきが一方的に好意を寄せていただけではありませんでした。彼女も、わちきのことを意識していた部分があったのです。

2009年の夏休みに、わちきが修論で悩んでいるところに、彼女が「気分転換に映画を見ましょうよ!」と誘ってくれて、2人でレンタルビデオ屋へ行き、『ルパン三世 風魔一族の野望』『パプリカ』『ねこぢる草』を、わちきの部屋で見ました。2人であーでもないこーでもないという感想をだらだら話しているうちに、彼女は終バスを逃しました。「泊ってもいいですか?」と言われた時には、もう本当に、ドキドキものでした。好きな女の子が自分の部屋に泊まっていってくれる、なんて夢のまた夢みたいな話でした。で、本当に彼女は泊まっていきました。深夜2時くらいに寝て、朝、起きたら隣で彼女がわちきの手を握って寝ている状態でした。わちきも男ですから、多分襲おうという気はゼロではなかったのですが、当時は恋人ではなく、仲のいい先輩後輩だったので、そこを壊したくなかったので、手は出しませんでした。

 

今だから書けます。彼女は本当にいい子でした。わちきと本質がよく似ており、彼女がわちきに自己投影している部分もあったのです。「嫌も嫌も好きのうち」とはこのことを言うのでしょうね。

 

研究活動が軌道に乗らないまま、わちきはあるNPO法人や大学の先生から(無償の)仕事をいくつか請け負うことになりました。その話し合いの場に彼女も同席しており、その話し合いの後に彼女がものすごい勢いでわちきに怒ってきたことがあります。以下はその時に言われた言葉です。

 

 「あと5分くらいでキレますよ」

「私もあなたもいつまでも元気じゃないんですよ!」

「(仕事)断れ!あんた修論書かなきゃいけないでしょ!」

「あなたが元気じゃないと私も元気がなくなるんです!」

 

最終的には泣き出した始末でした。年下の後輩にこれだけのことを言われて、わちきはただ彼女を慰めるくらいしかできませんでした。しかしこの頃から、彼女はわちきに好意を寄せているんだろうなあとも自覚していました。

 

当時からわちきは付き合いのあったあのNPO法人への不満や不信感を募らせていました。役員の一人(別の大学教員)が、わちきがNPO法人で地道に築いてきた研究成果を全て自分の実績として奪っていったのです。それがわちきの「無償」とか「ボランティア」に対する欺瞞さや嫌悪感へと変わっていったのです。

わちきの研究成果を奪っていってなおわちきから搾取しようとする例のNPO法人の役員には今も呆れ果てています(なんと現在は代表理事になっているらしい!)。

 

NPO法人や大学の先生たちから押し付けられた仕事は、最終的には全部こなしましたが、それを機に、わちきは自分を壊すことをエスカレートさせていきました。それが冒頭でも述べたように、自傷行為だったのです。とにかく被害妄想がひどかった。

 

2010年春、つまり大学院2年になったばかりの時、指導教官と例の後輩と3人で飲みに行く機会があり、最初は学問的な話で盛り上がっていましたが、だんだん恋愛話になっていき、「お前ら、(お互いに)どう思っているんや?」と指導教官は言いました。わちきよりも先に後輩が「きあさんのこと、好きです」と言いました。わちきも遅れて「(彼女が)好きです」と言いました。こうして指導教官のおかげで恋仲になることができたのです。

ですが、その恋も長くは続きませんでした。わちきのひどい対人依存症で共依存に陥りました。別れてから彼女はわちきと会うことを極端に避け、大学に姿を現わすこともありませんでした。一時は休学していたそうですが、最終的には退学したそうです。

 

彼女は、わちきのことを好きでいましたが、同時に蘭人ちゃんのことも慕っていたのです。仮に彼女と連絡が取れたとしても、蘭人ちゃんが死んだということだけは言えないです。後追い自殺しかねないですので。

 

今、多分、実家で引きこもっているんだろうと思いますが、もし再会できる機会があるならば、彼女の人生を壊してしまった当時のわちきの行いを、誠意を持って謝りたいと思います。できるなら、また仲のいい先輩後輩としてお付き合いできたらと思います。それが叶うのが何年後になるかは分かりません。ですが、生きている限り、いつかはまた出会えると思います。

 

今日の自分語りは以上です。ありがとうございました。