畜群総排除委員会

わちきはわちきに危害を加えてくる畜群を排除したいだけ。

学校は必要なのか?

教科書問題を風化させてはならない!

 

SMAP解散騒動やベッキー不倫騒動、高速バス事故など、話題は絶えませんが、そんな中で一時的に報道されていた「学校教科書問題」について、少し語ります。
 
 
 【教科書問題 教員5000人超関与】小中学校の教科書会社が検定中教科書を教員らに閲覧させていた問題で、12社がこうした不適切な行為。教員5147人が関与。

 

思うに、学校教育(義務教育、高等教育含む)なんて不要だと思う。わちきが義務教育で学んだことなんかよりも、人生についての哲学をしてるほうが生きているって感じがするんだよ。

ご覧の通り、義務教育界隈は権益で腐ってる。そんな教員や教育委員会や官僚になりたいと今の子どもが思うのかね?

 

確かに、生きるということの基本は教育にあると見られるけども、学校自体は不要だと思うのだ。ネットさえ使いこなせれば知識は身につく。集団行動については、いつも言われてるのが「良き人間関係の構築」だ。これがいけない。

学校教育において、他人と仲良くしなさいと促されつつ偽りの人間関係を結んだところで何の意味があるのか。仲良くするふりをして、結局のところ人間関係に歪みが生まれてイジメに遭うだけだろう。

 

本の学校教育の構造の根幹を突けば突くほど、綻びが出てくる。それが先のような教科書問題でもある。学校教育に過度な期待は禁物である。もっと過激な言い方をすれば、学校教育なんぞ不要だということ。

わちきが学校教育で学んだことの大半は人生に悪影響を与えたモノばかりでした。授業、部活、他者との競争、イジメ。結局のところ、わちきを哲学することから遠ざけてきた。わちきはいつも思う。もっと早くから偉大な哲学者たちの本に出会うべきだったと。

高校時代に哲学書を読み耽り考えることをしていても、変わり者としてイジメの対象にはなっていただろうとは思う。しかしニーチェに倣っていれば、人間関 係、とりわけイジメなぞどうでもよくなっていただろうとも思う。今がそう。あの頃のルサンチマンから解放されて気分がいい。

 

こないだ大学の先生達と話して思ったが、大学もキャリア教育に熱心で就職予備校化しているということ。大学とは研究機関であり学者を育む場所であるとわち きは思う。しかし実際は、大手企業や公務員、官僚になるための教育ばかりで、学生の研究に対する熱意を奪っているという。

 

義務教育時代の「良き人間関係の構築」から高等教育の「立派なキャリア」へ、人生のレールが敷かれるわけだ。そりゃ、私立大学も生き残るのに必死で就職率を上げるのに熱心なのは既知なことである。学者になりたいなら大学院へどうぞ、ということである。これが一般的。

 

わちきは学生でもなければ学者でもない。だから現場の事情を全て理解しているわけではないが、再び研究者の道を目指すわけで、大学とは、大学院とは、を考えている。

もう一層の事、哲学者になればいいんじゃないかなとか思うけど、生きていくには金がいる。学問するためにも金がいる。そう思いながら畜群になり果てないようにだけ考えて、今を生きてる。それだけだ。

 

 

※本記事は1月26日のツイートに加筆・修正したものです。